博論までの記録簿

何か研究しています。

12/29

そろそろ年末になり、段々と仕事が落ち着いてきた(実際には増殖中)ので、たまにはブログを書いてみよう。

 
まあ、このブログを見ている人は殆どいないわけであるが、昨年の公募状況について少し思い出話をしたくなったので、そのことについて記したい。ちなみに、こてこての人文・社会系の中でも超特殊事例のお話ですので、自然科学系の方には色々ご理解いただけないかもしれません。
 
そもそも昨年4月の私はこんな状況であった。
・D3
・学振DC2の2年目
・業績はお察しください・・・。
・晩春から秋にかけてヨーロッパの某大学で客員研究員として滞在
・実家からの支援は絶望的
・学位取得は困難
・教歴なし
 
という絶望的状況だったが、とりあえず学振PDと公募の準備をすすめることとした。
学振PDについては、とりあえず5月末くらいに提出し10月に不採用Bで戻ってきた。まあ、業績がないので仕方がないと言えばそれまでである。
 
出国するにあたって、行ったこともない現地の大学で書類を作り、印刷し、郵送するというのは非常に面倒だったので、日本に代理人を置くこととした。その代理人は病気療養中だったため、仕事はしていなかった。しかし、安静にしている限りにおいては、普通の生活を送れる状況であった。そのため、バイト代を出すことを条件に、その人に公募書類郵送業務をお願いし、海外からストレスなく書類を郵送するという体制を構築した。
 
昨年度、私の分野はそれなりに公募が出たと思う。
・国立大学:4件(北海道×2、中部、北陸)
公立大学:1件(関西)
・私立大学:8件(関東×3、中部、関西×2、九州×2)
・短期大学:1件(九州)
高等専門学校:1件(東北)
 
という状況であった。とりあえず、国立大学、公立大学高専についてはそもそも条件的に無理があったのでパスをし、私立大学と短期大学にエントリーすることとした。
 
実際に出したのは、
関東×2、関西×1、九州×2、であった。
とりあえず、関東と関西はすぐに全滅となった。
 
秋になり、帰国後の第一回ゼミ終了後、指導教員から、関東の私立大学(以下、V大学)から一本釣りの話がきており、希望するのあれば、私を推薦してくれるとのことだった。もちろんお願いする。
 
10月9日
指導教員を介して、V大学に履歴書と業績書を送付。
 
10月14日
学振PDの結果。不採用Bほぼ真ん中だった・・・。
 
10月19日
一本釣りの話がダメになったことを指導教員から聞かされる。どうやら、業績がなさすぎて採用したくないとのことであった。そして、短期大学からは審査延長の書類が来ていた。
 
11月14日
九州のとある大学(以下、P大学)から、書類選考通過の連絡がくる。想定外だったので、とりあえず指導教員に連絡。
 
その大学で30分プレゼン(研究・教育・地域貢献の三点を軸に)をしなければならないとのことだった。
 
11月29日
以前、一本釣りしてきた大学の他学部から、再度一本釣りの連絡がきたと、指導教員から連絡。
 
11月30日
論文を書きつつ、仮眠をしようとしたら、V大学の学部長から連絡がくる。「明日、本学で面接を・・・。」との連絡。
 
12月1日
電車で、V大学へ・・・。簡単な自己紹介、そして今後の採用プロセスについての説明を学部長から受ける。副学部長とも挨拶。
 
12月5日
新しいMac がとどく。
 
12月6日
30分プレゼン用の資料データを先方にメールで送付。
 
12月7日
早朝の便で九州へ。その後、慣れない電車で移動し、P大学に到着。14時半から開始。その前に、学部長やその他専任教員と名刺交換(これって普通なの?)。
 
プレゼン後の質疑応答(約30分?)は以下の通り
・学位請求論文の状況はどうなのか?
・教育経験がないけど、大丈夫か?
・地域貢献活動の経験はあるか?
・情報処理の授業を持たせる場合があるが大丈夫か?
・将来的に外書購読などをもたらせるが、英語は大丈夫か?
・門外漢なので、君の研究テーマがよくわからない。もっとかみ砕いて説明してもらいたい。そもそも、なんでもっとメジャーなテーマを選ばないの?
・お酒はどの程度飲まれるか?
なんかを質問された。
 
とりあえず、目の前に座っている学部長は、プレゼン開始後すぐに睡眠しはじめるし、専任教員がプレゼン途中でぞろぞろ入ってくるので、気が散ってしかたがなかった。
終了後、あまりの緊張で腹痛となり、駅のベンチで苦しむはめに・・・。(メンタル弱し)
 
12月15日
P大学から採用内定の連絡を受ける。ゼミ中だったので、その後のゼミの議論は頭に入らなくなった・・・。
 
12月23日
V大学からメールがくる。昇格可能な助手での採用を検討中とのこと、来月面接と連絡を受ける。冬休みの宿題まででるはめに・・・。(大学経営に関する作文)
 
1月12日
V大学からメール。修士論文、研究活動、健康診断書のコピーを大至急送るようにとの連絡がくる。
 
1月14日
V大学から、来週学長面接をしたい。さらに二名の推薦状を送って欲しいと連絡をもらう。色々な先生に、急遽推薦状作成をお願いするはめに・・・。
 
1月19日
V大学へ・・・。学長・副学長クラス5人と面談。学部長が色々と説明してくださった結果、私のほうは特にメンタルをやられることなく、穏やかに終了。来週、理事長面接になるらしい。
 
1月20日
P大学から、理事会レベルでの採用承認がおりたとの連絡がくる。これで、専任教員の採用が確定的となった。
V大学への教員選考辞退の連絡もすぐに送付。
 
2月1日
P大学からシラバス作成に関する書類が届く
 
2月13日
学部長から連絡。研究室どこにしますか?の連絡がくる。
 
2月15日
職場が某所で開催した健康診断。他学部の採用者もちらほら・・・。簡単な説明会も行われる。研究室の鍵をゲットする。
 
2月23日
来期の委員会業務について学部長から連絡。とりあえず、負担のなさそうな部局だった。
 
2月28日
退学届を提出。
 
3月24日
指導教員と着任前最後のランチ。色々激励された。
 
3月26日
九州での生活スタート。研究室の整理を開始
 
3月28日
新任教員の説明会
 
4月3日
辞令交付式。正式に教員へ・・・。
 
 
というわけで、たぶんこんな事例はなかなかないと思う。まあ、運が良かったのということなんだろうな・・・。
 
ちなみに、着任地域は架空の九州地方ですので(笑)